野田凪のインタビュー ― 2006/04/22
ラジオで野田凪のインタビューが流れていた。そのなかで印象的だったこと。
―ものをつくるひとは、じぶんが何をすきなのか、そして、なぜそれがすきなのか、を追及す るべき。 それを繰り返しているうちに、自然に、ものはつくれてしまっているもの。 逆に、評価されそうだからとか、みんながやっているから、あるいは、ちょうどこれはだれもやっていないから 、というような、 頭で考えたような理由でものをつくると、計算だかさがすぐにみえて、人の心を動かせない。 他の人は他の人、自分は自分としたうえで、自分は何が好きで、なぜそれが好きなのか、そういう深いところか らでた動機でつくってはじめて、人の心を動かせる。
たぶん、これが、単なる技術屋とはちがう、「作家性」のもつ意味なのだろう。
学者にもおなじことが言えるように思える。評価されそうな研究、時流にのった研究、評価さ れるがほかにやってるひとがいなさそうな研究、そういうことばかりやっていく研究者は、学者というよりも、 アナリストという技術屋にすぎない。自分にとって何が不可思議なこととしてひっかかるのか、それはなぜなの か、そういう深い動機から、湧き出した研究だけが、読者の心を動かし、そのような研究をおこなう者だけが、 「作家性」を帯びた学者として、認知されていくのだと思う。
[追記-2008.9.17]
ここ数日間web上で死亡説が流れていた野田凪。今日、宇宙カントリーHPに逝去の発表が出ているのを目にする。やはり、そういうことらしい。作品のオリジナリティ云々について色々言われていたらしいけれど、それについては、門外漢の僕にはわからない[そもそも、広告にオリジナリティが要求されるものなのかということ自体、僕にはわからない]。ただ、このインタビューで主張されている内容自体は、正しいと僕は思うし[当人がそれを実際に実践できていたかどうかなんて、僕にはわからないけれども]、この人の作品に触れるたび、ハッピーなかわいらしさと裏腹にある、ただごとではない、はっとさせる何か―死や残酷さ?―の感触に強烈な印象を僕が覚えていたのは確かだ。殻を破れないひとが多いなか、どうにか、殻は破れた人だったのではないか。折角、殻を破った人でも、若くして亡くなってしまったり、東京地検に突っ込まれたり...。難しいものだ...。